HOME > ニュース > 過去のニュース一覧 文字サイズ 大きくする 普通

2018年3月1日

ビキニ環礁における被ばくから64年目を迎えて
〜人類と核兵器は共存できません 核兵器の廃絶を〜

神奈川県生活協同組合連合会
代表理事会長 當具 伸一

 

1954年3月1日未明、中部太平洋のマーシャル諸島・ビキニ環礁で米国の水爆実験(コードネーム:ブラボー・ショット、15メガトン=広島原爆の1,000倍の威力)が行なわれました。核爆発によって破砕されたサンゴ礁は、放射性物質を含む大量の死の灰となって海に降り注ぎました。

当時、米国とソ連の核兵器開発競争は激化しており、トルーマン米国大統領は、新しい熱核兵器(水爆)の開発を命令、1952年11月に最初の本格的な水爆実験を太平洋マーシャル群島のエニウェトクで行いました。ソ連もより軽量の新型水爆実験にノバヤゼムリヤで成功。ソ連に先行された米国は54年3月から5月まで6回の「キャッスル作戦」と名付けた水爆実験を実施。こうして54年3月1日のブラボー爆発を迎えるのです。

 

ブラボー爆発3時間後の午前7時頃には、白い灰が雨と一緒に実験場から100kmも離れた公海上で操業していた静岡・焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」に降り注ぎ、それは甲板に足跡が残るくらいでした。

被ばく後、母港の焼津港へ戻るにあたり、船長は、SOSを発信すると米国の飛行機や艦艇により証拠隠滅のために撃沈射殺又は拉致されると考え、SOS発信をすることなく低速5ノット(時速9キロ)で3,000キロ以上の離れた日本をめざしました。それは被ばく後2日目から症状が出た、顔色の変色、髪が抜けたり頭痛、吐き気、目まい、下痢等の症状を抱えての航行でした。

 

3月14日に焼津港についた乗組員23人は入院治療を受けましたが、無線長の久保山愛吉(40)さんは、手当てのかいもなく9月23日に急性放射線障害により死亡されました。

第五福竜丸が獲ってきたマグロからも強い放射能が検出され、各地の魚市場では大量の魚が廃棄される事態となりました。寿司屋や魚屋にはお客が寄り付かず「原爆マグロ恐慌」が生じ、東京の中央卸売市場ではコレラの流行以来はじめて取引が停止となりました。

 

当時米国政府は、予想外の風向きの変化で島に死の灰が到達してしまったと説明しましたが、後に情報公開法に基づいて公になった政府文書では、住民に被害が及ぶのは承知の上で、風向きの変化は分かったものの、アメリカの軍艦だけを安全域に移動させ、住民の避難作業は行わずに核実験を実行したことが明らかになっています。

 

同年3月18日、厚生省は、マーシャル諸島水域で操業、または同水域を航行した漁船を対象に、焼津、三崎など18港で船体と魚の放射能汚染検査を受けるよう通達。日本では当時、魚体表面から10cm離したガイガー・カウンターで測定し、100cpm(1分間あたり100カウント)を超える汚染魚は廃棄されました。
1954年12月末までに汚染魚を水揚げした日本漁船は856隻、廃棄された魚は486トンに及びました。

 

死の灰は気流や海流によって中部太平洋から北太平洋、インド洋まで甚大な汚染を引き起こしました。日本の農畜産物にも大きな影響があり、気象庁は、雨が降る度に、「○○カウントの放射能が含まれている」と発表する状況でした。

 

しかしビキニ事件の幕引きを望んだ米国政府の意向を受けて、日本政府は汚染検査を突如やめました。ヒロシマ・ナガサキ被ばく者の病苦・貧困・差別を放置していた政府は、ビキニ事件においても再び被災者を放置するとともに、米国政府の意向を優先させたのです。その後の調査によれば、日本国内だけで延べ1,000隻、1万名もの漁船乗組員が被災した可能性のあることが明らかになっています。

漁船員の方には中には長崎とビキニで二度も被ばく体験をした方もいました。

第五福竜丸が被ばくした事件を巡り、「死の灰」の成分分析を詳報するなど米国の対応に批判的な日本メディアに米政府が不満を強め、「日米関係全体に深刻な影響を与える」と日本政府に圧力をかけていたことが、機密指定を解除された米公文書により判明しています。

 

また52年の水爆実験以前に、米国はビキニ環礁で2回の原爆実験を、更に52年以降、エニウェトクで9回の水爆実験を行っています。これらの実験は当然のことながら大量の放射性物質を発生させ、マーシャル群島の島々とその島に生活する人々を被ばくさせました。

マーシャル地区のアイリングナエ、ロンゲラップ、ウトリック環礁、ロンゲリックの住民は避難させられることなく被ばくしました。子供たちは初めてみる雪のような白い粉を身体にかけて遊んでいました。やがて激しい嘔吐、皮膚の炎症、脱毛などの急性放射能障害が島民を襲いました。住民は奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で次々に斃れ、十分な治療もなされずに核実験の「モルモット」のように、太平洋を流浪させられることになりました。今日でも、さまざまな疾病で苦しめられています。

マグロや鰹なども放射能で汚染され、周辺海域で操業していた日本の漁船も、被ばくしたと考えられますが、明らかになってはいません。

 

ビキニ被ばく64年目の本日、久保山愛吉さんの「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」との言葉を心に刻み直し、「人類と核兵器は絶対に共存できない」と改めて心に誓います。核兵器は非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。

核兵器のない地球を実現するために、唯一の戦争被爆国である日本が積極的な役割を果たすことを心の底から求めます。

 

平和を願う神奈川の生協は、「私の生きているうちに核兵器廃絶の道筋をつけて欲しい」との被ばく者の血を吐くような叫びを受け止め、すべての国が核兵器禁止条約の早期調印・批准をするように、神奈川県原爆被災者の会の皆さまと手を携え「ヒバクシャ国際署名」を大きく広げていくことを決意します。

 

平和都市焼津宣言

平成7年10月20日議決

平和 なんという尊いことば

重々しいことば

美しいことば

そして  心地よいことばでしょう

平和 それはまた、全人類共通の願いでもあります。

しかし、私達はこのことばの意味を本当に理解しているのでしょうか。

人を傷つけ、死に至らしめるようなことがこの世にあっていいのでしょうか。

自然をこわし、木々の緑や鳥のさえずりを失ってもいいのでしょうか。

私達のまちには、戦争による犠牲者や第五福竜丸事件という、痛ましい忘れられない過去があります。

それゆえに、これらすべての犠牲者を追悼し、このような惨禍が二度と起きないよう、広く世界の人々に訴えていくことが私達のつとめであり、世界の人々と相携えて努力すれば、必ず達成できるものと信じます。

子々孫々のためにも、私達一人ひとりが良心に従い、堅い決意をもって、一日も早く核兵器や戦争のない世界平和の実現のために、力強く前進することを誓い、戦後50年の記念すべき秋にあたり、ここに平和都市焼津宣言をします。

前のページにもどる このページトップへ
サイトマップ 神奈川県生協連トップページへ