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2016年1月9日

神奈川県原爆被災者の会結成50年

神奈川県生協連は核兵器もない、戦争もない、平和な世界を願い、被爆者の皆さまとともに地球上から核兵器をなくす取り組みをすすめています。

神奈川県原爆被災者の会結成50年を迎えるにあたり、神奈川県原爆被災者の会の「被爆者ニュース第183号」に掲載された、神奈川の被爆者運動の始まりの頃の様子について、その思いをつないでいくために、神奈川県原爆被災者の会の了承を得て、このホームページに転載します。

被爆者の運動の歴史を知り、「ふたたび被爆者をつくらない」との強い思いを受け継いでいきたいと思います。

被爆70年(1945年8月6日・9日)

神奈川県原爆被災者の会 結成50年(1966年1月23日)

神奈川県被爆者友の会 発足60年(1955年10月)

 

神奈川の被爆者運動の始まりの頃

訪れた被爆者から門前払い

あの日から70年の歳月を経て、被爆者の平均年齢は80歳を越えました。

1987年(昭和62)には6609名だった神奈川の被爆者数は、この2015年(平成27)3月末現在で4374名となりました。

近年は毎年200名近くの方の訃報が届きます。

これまでの運動は多くの先達の「ふたたびび被爆者をつくらない」という強い意思と行動力に支えられてきました。

会発足60年・結成50年の今年、その歴史を知り、新たなあゆみの始めとしたいと願います。

 

被爆者運動の始まり

1954年(昭和29年)アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で「死の灰」を被ったマグロ漁船が三浦港に帰港し、神奈川県でも大騒ぎとなりました。

それを機に始まった東京の杉並の主婦たちが始めた原水爆禁止の署名活動は、瞬く間に約3000万筆の集めました。

その翌年1955年(昭和30年)

広島で初めて原水爆禁止世界大会が開催され、神奈川からも個人・団体代表120名が団体列車(当時は貨物列車)で参加。

当時この運動は官民一体で、石河京一横浜市長が神奈川県の団長でした。

広島では被爆者の家に分宿し、そのことがその後の神奈川の運動に良い影響がありました。

 

隠れた被爆者を探した「神奈川友の会発足」の頃

その頃は被爆者援護法は勿論のこと、原爆医療法も措置法も制定されておらず、被爆者手帳も発行されていない時代です。

氏名もわからない被爆者を探すのは容易ではなく、ツテを頼って探し回る状態でした。

やっと探し当てた被爆者の口は固く、冷たく追い返されることも度々でした。

被爆者に対する差別や偏見が強く、被爆者にとって、心身ともに苦しい時代だったのです。

今から約60年前、1955年10月伊藤直成さん、井上与志男さんを中心に神奈川友の会が発足し活動を始めたのはこのような大変な時代でした。 

その後1956年8月10日、全国の被爆者が長崎に集い、日本被団協が結成されました。

 

県原爆被災者の会結成

10年後の1966年1月23日、「神奈川県友の会」の更なる前進をめざして「原爆被災者の会」と改称し、新たな出発をしました。

翌2月に会員から出されたことを「24項目の要望書」として県知事に提出。

その結果、直ちに担当窓口は衛生部保健予防課と決まりました。

4月「被爆者ニュース1号」を発行、県下1200名の被爆者に《要望を聞くアンケート》を同封し郵送しました。

6月友好団体の呼びかけによる「被爆者を励ます会」に県内各地から被爆者250名が集まり、各界代表から激励の言葉をいただき、感動的な集会となりました。 

 

中央行動・全国行脚

1968年(昭和43年)5月、原爆特別措置法が制定され「健康管理手当て」の支給が決まりました。

この法律制定に至る前年は、日本被団協始まって以来の大中央行動が何度も行われ、全国から被爆者が参加。

神奈川からも多数が参加しました。

3月に5日間、6月に3日間、10月に全国行脚、11月に中央結集行動、12月2日間。

とりわけ68年3月の行動は神奈川からバス二台に横断幕を掲げ、国会周辺や都内を東友会などとバス請願デモを行い壮観でした。

また数寄屋橋で連日座り込みも行いました。

これら連日の行動が「被爆者援護法」制定前の中央行動の幕開けでした。

 

「被爆者ニュース第183号」はこちらpdf1MB)

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