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2015年3月2日

ビキニ被ばく61年目を迎えて

神奈川県生活協同組合連合会
会長理事 木下 長義

1954年3月1日未明、中部太平洋のマーシャル諸島・ビキニ環礁で米国の水爆実験(コードネーム:ブラボー・ショット、15メガトン=広島原爆の1,000倍の威力)が行なわれました。核爆発によって破砕されたサンゴ礁は、放射性物質を含む大量の死の灰となって海に降り注ぎました。

当時、米国とソ連の核兵器開発競争は激化しており、1952年には米国は世界初の水爆実験を行いましたが、翌年にはソ連がより軽量の新型水爆実験に成功。ソ連に先行された米国は54年3月から5月まで6回の「キャッスル作戦」と名付けた水爆実験を実施。ブラボーはその口火です。

 

死の灰は実験場から100kmも離れた公海上で操業していた静岡・焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」に降り注ぎ、乗組員23人が急性放射線障害となり、無線長の久保山愛吉(40)さんは、手当てのかいもなく9月23日に急性放射線障害により死亡(直接の死因は肝臓障害)されました。

 

第五福竜丸が獲ってきたマグロから強い放射能が検出され、各地の魚市場では大量の魚が廃棄される事態となりました。寿司屋や魚屋にはお客が寄り付かず「原爆マグロ恐慌」が生じ、東京の中央卸売市場ではコレラの流行以来はじめて取引が停止となりました。

同年3月18日、厚生省は、マーシャル諸島水域で操業、または同水域を航行した漁船を対象に、焼津、三崎など18港で船体と魚の放射能汚染検査を受けるよう通達。日本では当時、魚体表面から10cm離したガイガー・カウンターで測定し、100com(1分間あたり100カウント)を超える汚染魚は廃棄されました。

東京電力福島第一原発事故に伴う一般食品の放射能基準値は100ベクレル/kgです。放射性物質の種類が異なるとはいえビキニ事件当時の100cpmは、10万ベクレル/kgを優に上回るものとされています。1954年12月末までに汚染魚を水揚げした日本漁船は856隻、廃棄された魚は486トンに及びました。

死の灰は気流や海流によって中部太平洋から北太平洋、インド洋まで甚大な汚染を引き起こしました。日本の農畜産物にも大きな影響があり、気象庁は、雨が降る度に、「何カウントの放射能が含まれている」と発表する状況でした。

 

しかしビキニ事件の幕引きを望んだ米国政府の意向を受けて、日本政府は汚染検査を突如やめました。ヒロシマ・ナガサキ被ばく者の病苦・貧困・差別を放置していた政府は、ビキニ事件においても再び被災者を放置するとともに、米国政府の意向を優先させたのです。その後の調査によれば、日本国内だけで延べ1,000隻、1万名もの漁船乗組員が被災した可能性のあることが明らかになっています。

漁船員の方には中には長崎とビキニで二度被ばく体験をした方もいました。

第五福竜丸が被ばくした事件を巡り、「死の灰」の成分分析を詳報するなど米国の対応に批判的な日本メディアに米政府が不満を強め、「日米関係全体に深刻な影響を与える」と日本政府に圧力をかけていたことが、機密指定を解除された米公文書により判明しています。

 

また太平洋諸島マーシャル地区のアイリングナエ、ロンゲラップ、ウトリック環礁、ロンゲリックの住民は避難させられることなく被ばくしました。子供たちは初めてみる雪のような白い粉を身体にかけて遊んでいました。やがて激しい嘔吐、皮膚の炎症、脱毛などの急性放射能障害が島民を襲いました。住民は奇形児や流産などの異常出産、甲状腺ガンや白血病で次々に斃れ、十分な治療もなされずに核実験の「モルモット」のように、太平洋を流浪させられることになりました。今日でも、さまざまな疾病で苦しめられています。

 

ビキニ被ばく61年目の本日、久保山愛吉さんの「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」との言葉を心に刻み直し、「人類と核兵器は絶対に共存できない」と改めて心に誓います。核兵器は非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。

 

平和を願う神奈川の生協は被爆者の願いに応え、今年のNPT再検討会議に向けて、核兵器廃絶の道筋である核兵器禁止条約の早期実現のために、より多くの皆さまと手を携えながら「核兵器のない世界」を目指すことを決意します。

 

平和都市焼津宣言

平成7年10月20日議決

平和 なんという 尊いことば

重々しいことば

美しいことば

そして   心地よいことばでしょう

平和 それはまた、全人類共通の願いでもあります。

しかし、私達はこのことばの意味を本当に理解しているのでしょうか。

人を傷つけ、死に至らしめるようなことがこの世にあっていいのでしょうか。

自然をこわし、木々の緑や鳥のさえずりを失ってもいいのでしょうか。

私達のまちには、戦争による犠牲者や第五福竜丸事件という、痛ましい忘れられない過去があります。

それゆえに、これらすべての犠牲者を追悼し、このような惨禍が二度と起きないよう、広く世界の人々に訴えていくことが私達のつとめであり、世界の人々と相携えて努力すれば、必ず達成できるものと信じます。

子々孫々のためにも、私達一人ひとりが良心に従い、堅い決意をもって、一日も早く核兵器や戦争のない世界平和の実現のために、力強く前進することを誓い、戦後50年の記念すべき秋にあたり、ここに平和都市焼津宣言をします。

 

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