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2009年9月14日

2009 ヒロシマ・ナガサキ平和スタディツアー行われました。

ヒロシマ平和スタディー大人ツアー  ヒロシマ平和スタディー子どもツアー

長崎平和スタデイツアー

 

ヒロシマ平和スタディーツアー(大人)に参加して

団長 小池美幸(パルシステム神奈川ゆめコープ)

広島は暑いと聞いていたので覚悟をしていましたが、今年は例年より暑くなく曇りがちでした。地元の人によれば、いつもは真っ青な空に陽が差し、もっと暑いとのことでした。

参加者16名(内子ども4名)は4グループに分かれて、各班ごとに計画をたてて行動しました。

8月4日〜8月6日(2泊3日)の行動は、被爆者の証言・碑めぐり(平和祈念公園内・絵碑)

  • ユニセフワークショップ・2009ヒロシマ虹のひろば・平和記念資料館見学・
  • 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参加することで、広島に原爆が投下された事実、原爆の現実の恐ろしさと、今もなお苦しんでいる人々がいることを知ることができました。

広島原爆ドーム

詩の朗読と被爆の証言

げんしばくだん

げんしばくだんがおちると

ひるがよるになって

人はおばけになる

「小さな祈り」より

この詩の朗読のあと、被爆の証言を聞きました。当時10歳の瀬木正孝さんです。冷静に語りながらも力強さを感じる話し方で聞き入りました。ところどころ頭の中に映像が浮かんでくるほどでした。語る言葉に時折心に迫るものもあり、少し涙が出そうになりました。瀬木さん自身も放射能の後遺症で胃ガンとなり、全摘出手術をしています。瀬木さんは私たち戦争を知らないものへ伝承していく役目となったのだと感じました。瀬木さん自身も生かされた命と話します。そして命の重みをつたえること、「戦争の怖さは、戦争によって精神と心がおかされていく」とのこと、「原爆投下がいけないのではなく、いがみ合い戦争をすることが原爆投下をまねいてしまった、人を思いやる思いやりの気持ちをもつことが大切」としめくられた言葉が印象的でした。

1班 アニメと被爆の証言

アニメ原爆映画「太陽をなくした日」が上映された。

青い澄みきった空とセミの声で始まり、子どもたちは町内でいたずらしながら遊びに夢中になっている。が突然、日常の全てがそして街が消える・・・。

悲惨な場面もほとんどない、子どもの台詞もない、エンドマークもないわずか19分の短いアニメ。エンドマークをつけなかったのはヒロシマの悲劇はまだまだ終わっていないという意味が込められているようだ。

矢野美那子さんの講演の様子矢野美那子さんによる被爆の証言は淡々と語られながらも今も苦しみを背負っていると思いました。

当時広島高等女学校2年の彼女は、体調不良により学校を休んでいて、爆心地より4km離れた自宅で家族6人と共に被爆。

防空壕に逃げ遅れた彼女は爆風により畳とともに突き上げられた。北の空をみたら赤・黄色・オレンジ・紫の火球が上昇していくのが見えた。

その後あたりが暗くなり、何が起こったのかわからない・・・翌朝、驚いたのは無数の人々が死んでいたこと。

何よりもつらかったのは「真面目に学校に行った者が死んで、サボった人は生き残った」と友達のお母さんに言われたことだった。

2班 ユニセフワークショップ

テーマ「対立と解決」

ワークショップの様子6枚の絵カードをみて、ストーリーを考える、ワークショップが行われた。

紐でつながれた、2匹のロバは2ヶ所に置かれた餌をどうしたら仲良く食べられるか?

それぞれの班で考え、活発な意見を出し合った。

大人から小さな子供まで一緒に考え、ストーリーを作り発表した。

紐、餌、は何を意味するのか?など、さまざまな考えが発表された。

シンプルな6枚の絵カードで「対立と解決」を深く考えさせられた企画だった。


3班 サダコと折鶴の話

会場はこどもたちが多かったです。中に入りきれないほどの人がいました。始めにサダコと折鶴のアニメーションを見てその後に同級生の川野澄美子さんがスライドを含め、当時の被爆体験も入れながらサダコさんの話を涙ながら話してくださいました。サダコさんは2歳の時被爆し、10年後の12歳の時に原爆による白血病と診断され、8ヶ月の闘病生活の後亡くなられました。1000羽折れば病気が治ると信じ、お菓子の包み紙などでたくさんの鶴を折りました。後の原爆の子の像は、サダコさんをモデルとして建てられ、当時生きたいのに生きられなかったサダコさんをはじめ多くの子どもたちを供養する意味をこめて千羽鶴が数多く飾られています。「原爆の子の像」建立の呼びかけは、川野さんをはじめ同級生たちが行い、全国校長会で2000枚のチラシを配布したりして、わずか1年足らずで建立の費用540万(現5400万円)が集まったそうです。たくさんある像や碑もただ見るだけではわかりませんが、今回の様に話をきちんと聞くと当時の様子や語りの人の方々の思いがとてもよく分かりました。

「原爆の子の像」の除幕式
「原爆の子の像」の除幕式

川野さんと一緒に撮りました。
川野さんと一緒に撮りました。


原爆の絵碑めぐり

原爆の絵碑被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会により建てられている

生き残った被爆者により《あの日の爆心地の光景》が鮮やかに衝撃的に描かれている。

実に三千枚も残されているそうだ。7年前より活動が行われ現在は1号碑から10号碑まで設置されている。

目標は80ヶ所を目指している。1ヶ所70〜80万円ほどかかってしまう。

場所と絵とお金があれば立てることができる。設置する場所への提供は受け入れてもらえないのが現状とのこと、一つでも多く建てられることが目標と聞き、時間のかかることでも実現できると信じたい。 石に描かれた絵は生涯残っていくことでしょう。


4班 ヒロシマ 虹のひろば

虹のステージ、みんなのひろば

岩田英憲さんのパンフルートの演奏から伝わってくる、美しい地球を守りたい、広島市長の力強いメッセージ、「はだしのゲン」作者、漫画家中沢啓治さんのお話、虹のひろば合唱団による合唱、写真、絵、日ごろの平和への活動報告、映画の上映、参加しながら平和について考える、そしてこの場に集まった皆さんの、パワーに核兵器のひとつもない世界を私たちが作っていかなければと強く思いました。

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式の様子64回目の原爆忌を迎えた。約5万人が参列。

この一年間で亡くなった方は5639人原爆死没者名簿は96冊となった。

記載された死没者は26万3949人になった。

広島市長秋葉忠利氏より平和宣言、

米大統領オバマ氏より核兵器を使った国として、核兵器のない世界実現のために努力する「道義的責任」があると明言、私たちはオバマ大統領を支持し、核兵器廃絶のために活動する責任があると強調。こども代表小学生6年生2名より平和への誓い、

あの日、原子爆弾は広島の街を一瞬にして飲み込み、人間が人間らしく最後を迎えられなかった残酷な光景、多くの夢や希望を一瞬にして吹き飛ばされた人たちの悲しい「闇」の世界。原爆や戦争という「闇」から目をそむけることなく、しっかりと真実を見つめ、そして、世界の人々に、平和への思いを訴え続けることを誓う。と宣言した。

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式の様子
感想

64年たっても広島原爆投下は終わっていないことを実感しました。

市内のあちらこちらで行われる原爆の事実を消さないように動く人々、

そこには被害にあった人たちばかりではなく、話を聞き感銘した人たちもいます。

だからこそ、日本全国の人たちが感じ伝えていかなければいけない。

たくさんの方の苦しみを次の世代まで永遠に伝えていく義務がこの国にはあることを、消して忘れてはいけないと強く感じました。

人間は平等に平和でいなければいけないのだから。

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ヒロシマ子ども平和ツアー

ヒロシマ子ども平和ツアーの参加者

8月4日(火)〜6日(木)の3日間、子ども19名、学生スタッフ・事務局・運営委員14名の計33名でヒロシマを訪問しました!

【8月4日(1日目)】 新横浜 ≪出発式≫

新横浜 ≪出発式≫広島へまず、原爆ドームと爆心地を見学

まず、原爆ドームと爆心地を見学!

≪「被爆の証言」を聞きました≫

被爆者である久保浦 寛人さんの証言を聞く参加者被爆者である久保浦 寛人さんの証言を聞き、感じたことを手紙に記して親や友人らに送りました!


≪グループごとに平和公園の碑めぐり≫

グループごとに平和公園の碑めぐりの様子

グループごとに平和公園の碑めぐりの様子

子ども平和ツアーで説明する丸山さん

今年の子ども平和ツアーにも神奈川県原爆被災者の会・副会長の丸山 直治さんが同行してくださいました!

【8月5日(2日目)】 『似島少年少女の集い』に参加!

似島は広島港の沖合い約4kmにある美しい島。当時陸軍の検疫所があったため、原爆投下直後から被爆された方々が次々と運びこまれました(その数1万人とも言われています)。なお、同行の丸山さんは江田島で特攻隊の訓練中でしたが、投下直後に似島に派遣され、修羅場と化した現地で1週間ほど被災者の救護にあたりました。

参加者の様子集いの様子丸山さん

似島を背景に広島平和記念資料館の前で

【8月6日(3日目)】 『平和記念式典』に参加!

平和記念式典の様子平和記念公園で行われた「原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)」に参列。

8時15分の原爆投下時刻には、他の参列者とともに被爆者に黙祷を捧げました。


「サダコと折り鶴の話」

川野 登美子さんの講演の様子「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木 禎子さんの生涯について、級友だった川野 登美子さんからお話いただきました。

 

新横浜に帰着後解散!


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長崎平和スタデイツアーに参加して B班

≪ 日 程 ≫

8月7日:学習会「NPT再検討会議」にむけて(ピースラボ中村佳子氏 他)

・平和の町歩き「原爆遺構をたずねて」

8月8日:「朗読と被爆の証言」(朗読;かよこ桜 、証言者 渡邊すが子氏)

「ナガサキ虹のひろば」(ピースバトン・ナガサキ 平和コンサート他) 

・長崎原爆資料館

8月9日:原爆犠牲者慰霊平和祈念記念式典

≪参加者氏名≫ 木村尚子  藤田よし子  荒井優紀子

2009ピースアクション in ナガサキに参加して

荒井 優紀子

1945年8月9日、長崎・浦上の天空で炸裂した原子爆弾は4000℃近い熱線により、周囲のほとんどの生き物を「炭」とし、250m/秒の爆風は北東500メートルにあった教会の聖堂を崩落させた。そして一番残酷だったのは、そのとき発生した放射線であり、瞬時に、また数週間の間に7万もの人を殺し、その後今に至るまで、加えて7万余の人の命を奪うものであった。

今年度のピースアクションの目的は核兵器使用の実態とその非人道性の理解と、核兵器の廃絶を巡る動きの学習であり、報告もその視点で進めます

【核兵器使用の実態とその非人道性】

「平和の町歩き(原爆遺構を訪ねて)」は今も残る傷跡を目で確かめるフィールドワークであり、「被爆の証言」、長崎原爆資料館、「ナガサキ虹のひろば」は原爆の下で生きた人々の思いを今の私たち伝えるプログラムである。

原爆遺構はその日の長崎の異様な状態を語っている。高温のために白灰色化した地層、爆風のため吹き飛ばされた聖堂の鐘楼は爆弾エネルギーの天文学的な凄まじさを証明している。

直接体験した人が語る被爆の証言からは「その日」「その日以降」が言葉を超えて迫ってくる。普段聞きなれない長崎弁の抑揚と証言の内容が不思議な感覚を呼び起こした。当時11歳の少女の目からみた長崎の状況である。証言者は母と兄弟、親戚の何人かをその日に失っている。

原爆資料館にはアメリカの原爆の開発検討から投下するまでの動きが時系列的に報告されていた。また8月9日の夕方には近隣の地区から救援隊が組織され長崎に入った記録もあり、後のこと(原爆の後遺症)を考えると胸が痛む。

「ナガサキ虹のひろば」は原爆体験を昇華した文芸作品の朗読や音楽の演奏、高校生の平和大使を中心とした100万の平和署名活動の報告からなる複合パフォーマンスである。特に被爆者の手記や原爆を題材とした文学作品の朗読、コンサートは声高に「反核」を叫ぶ事はなく、選ばれた作品(武満徹の歌曲 禁じられた遊び 鳥の歌 自由律の俳句など)はその芸術性を通し作者の思いが、演者の素晴らしさと相まって素直に伝わってくる。それは核兵器のもつ破壊力の凄まじさだけではなく、その時長崎にいた人の思いである。亡くなった方には残された家族があり、未来があり、心があったのだから

【核兵器廃絶の巡る動き】

この忌まわしい核兵器の廃絶にむけて、ここ1〜2年の世界の動きが「NPT再検討会議にむけて」というプログラムで報告されていた。(報告者は神奈川県のNPO法人ピースデポ中村桂子氏)

今年春のアメリカのオバマ大統領の演説も重要ではあるが、2007年に国連で「核兵器禁止条約」がコスタリカやマレーシアをはじめとする国々から提案がなされている。また核兵器廃絶を巡る一連の動きは、2007〜08年にかけてキッシンジャー元大統領補佐官、シュルツ元国務長官等のウオールストリートジャーナルでの意見表明、パンギムン国連事務総長の談話など、今までにない大きなうねりを感じさせることが続いている。

またこの報告によると、北朝鮮のこともあって日本は「核の傘」の強化維持を対外的にも表明しており、これが「核廃絶」を目指す国際運動の阻害要因の一つということであった。

【所感;次なる私たちの世代は・・・】

「長崎、広島」がいつも特別に大きく報道される事に疑問に感じていた。それはあの当時日本の主要都市のほとんどは空襲で壊滅的な損害を蒙っていたからだ。しかし今は違う。勿論空襲を忘れてはならないが、長崎、広島は別格。それは原爆投下が「人が人になし得るもっとも残酷な行動」と理解できたからである。

人はこの様な「力」を持っている。そしてこの「力」を止められるのも人でしかいない。

一人でも多くの人が広島や長崎を訪れ核兵器使用の実相と、その使用禁止と廃絶の意味を理解し、それが世界の意思となるよう働きかけたい。また、先ごろ提案のあった「核兵器禁止条約」は実効性・公平性を具備したものであってほしい。 

核兵器使用が考えられる大きな武力紛争の前には必ず前哨戦となる小さな紛争がある。この紛争を起こさないためにも、飢えのない、希望のある、多様な価値の共存共有が図られている世界を望む。そのような世界になれば、二度と核兵器の使用はない。これも有効的な「核兵器使用の抑止」である。

次なる私たちの世代がなすべき事は、不断の努力を以って核兵器使用の惨さと核兵器廃絶を訴えること、紛争のない世界作る、そして万が一起こってしまった小さな武力紛争にも関心を持ち拡大を許さない、そのために知恵を巡らすことである。

長崎は暑くせみが盛んに鳴いていた。それは関東地方の「アブラセミ」ではなく、「クマゼミ」がその独特の声を上げていた。きっと64年前のナガサキの夏もこのような夏であったに違いない。

以 上

平和記念公園での参加者

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